黒酢の歴史

「黒酢」の誕生

黒酢の誕生

「黒酢」は現在の鹿児島県霧島市福山町が誕生の地とされています。約200年前、この場所は支那(現在の中国)・朝鮮半島・琉球(現在の沖縄)からの貿易がとても盛んな場所であり、いろいろな産物が入ってきていた場所で、宮崎への流通の中間地点としての貿易港とされていました。
中国から来た1人の商人によって、福山町の豪商に「黒酢」の作り方が教えられたのが「黒酢」の始まりと言われています。そこから豪商と薩摩藩によって、鹿児島で焼いた壺を使い、鹿児島の美味しい米と、しらす大地からわき出す水と、温暖な気候と霧島からの吹き下ろしによる昼夜の気温の差など、「黒酢」づくりに適した環境を利用し、どんどん「黒酢」の生産が進められたのです。

 

当時「黒酢」をアマンと呼んでいましたが、これは中国福建省に米の集積地アモイというところがあり、福山町の豪商に酢作りを伝えた中国人が、アモイから来たのではないかと推測されています。そのためか「黒酢」醸造に使う壺をアマン壺と呼ばれていました。次第に福山町だけでなく、南九州の環境が合ったところに広がっていき、現在は福山町をはじめ南九州には伝統の作り方を守っている醸造所がいくつもあります。きちんと歴史と伝統を守っている醸造所では、今も「黒酢」職人によって伝統の製法が守られています。

 

伝統ある「黒酢」醸造の難しさ

「黒酢」を自然の中で伝統を守って醸造するには、自然と対話できる熟練の職人が不可欠です。黒酢の壺の成長はそれぞれみんな違うため、どの壺にも個性があり、それぞれの個性や成長度に合わせて育てていくこと1〜3年。目や耳を使って、「黒酢」の壺を育てていくためには長年の経験が無ければできません。このように1つひとつの壺を、まるで生き物を育てるように醸造していく歴史ある製法こそ、本当の「黒酢」と言えるのではないでしょうか。

 

黒酢の歴史

黒酢は福山町でつくられるようになり、薩摩藩の重要な宝となりました。それが長い歴史の中、南九州に広がり、日本中の人が「黒酢」の魅力を知ることになっていきます。その後、色を付けただけの粗悪な商品も「黒酢」として出回った時代もありました。それらを防止するために、2003年には厚生労働省によって、「黒酢」の定義が決められたため粗悪品はなくなったのです。

 

しかし逆に条件にあっているものであれば「黒酢」と名乗れることに。つまり上でご紹介した歴史ある伝統を守った製法でなくても、「黒酢」と言えることになってしまったという残念さもあるのが現実です。そのため今は「黒酢」や「黒酢」を使ったサプリなどは、「どこどこの醸造所でつくられた黒酢」というように、その辺を消費者にも分かりやすい説明を付けている場合が多くなっています。

 

 

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